私とモンゴル

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写真は首都ウランバートルから西に1300km
モンゴルオブスアイマグ(県)の岩塩採掘地
およそ1mの地下に岩塩が眠っています。
岩塩を成分分析するとMgが少量検出されることがございます。
といううことは、Mgの融解温度633度付近の低い温度で作られた珍しい岩塩です。

私とモンゴル      小田部 満徳
1984年4月、積水化学東京支社屋根材開発営業担当課長から新潟営業所長に転勤に なりました。自分から進んで手を上げて新製品の屋根材の担当になってから10年、ど うにか屋根材事業も黒字に転換して軌道に乗って来たところだった。正直なところ自分が育てあげた事業から離れて、新潟に行くのは少しは未練があったが、酒がおいしくき れいな女性が多いという新潟に初めての単身赴任をしました。東京では通勤時間が一時 間四十分もかかりましたが、新潟では会社まで三分のところに宿舎を用意してもらいま した。一日あたり三時間以上も通勤時間が短くなったのです。
まず朝食を自分で作ることにした。私が料理を自分でするということで、東京から良く 出張してくる代理店の副社長さんが料理を教えてくれることになりました。副社長さん は出張の都度、愛用の包丁数本・コック帽・前掛け持参でかけつけてくれました。ビ- フシチュウ・牛テ-ルス-プ・しめ鯖・鯖の味噌煮・あんこう鍋等々を教えてもらいま した。料理を覚えれば人に食べさせたくなるので、新潟営業所の社員や関係会社の方々 ・お得意様と大勢の方につきあってもらいました。
幸いにして私の作った得意のしめ鯖であたった人は誰もおりませんでした。出張して くる社員がいれば、誰でも希望者には私の宿舎に泊まってもらい、朝食も提供しました。後の積水化学の社長の大久保尚武氏も宿泊者の一人でした。
料理の他には通勤時間が短くなるので運動不足になると思い、中学生の時から憧れの スポーツだった硬式テニスの初心者向けスクールに通いました。おかげさまで75歳を超えたになった今でも、週末には必ず硬式テニスを楽しんでいます。
囲碁も昔からしていましたが、典型的なお昼休みの囲碁でザルでしたので、少しは本 格的にやろうと時間のあまるままに定期的に囲碁の雑誌を二冊購読し、掲載されていた棋譜を全部一人で並べました。3年たってどうにか2目は手が上がったのではないでしようか。
宿舎に帰って口を開くことが何もないと、言語障害になるのではないかと心配して、 日本海を挟んで隣りの国の中国語会話をテレビではじめました。練習を始めれば中国語会話を使いたくなるのですが、新潟にいるあいだはほとんど中国語を使う機会はありま せんでした。ほかには、転勤の最後の日にようやく自動車の仮免許をとることが出来ま した。
おかげさまで新潟の3年間の単身生活は趣味の幅も広がり、充実したもので人生の転 機になったのではないでしょうか。
大宮の関東営業所長を経て5年ぶりに東京勤務になりました。営業の第一線をはなれ たので、時間的には少しは余裕のある営業の補佐のような仕事でした。
東京の友人と旧交を温めるうちに、昔の柔道仲間に誘われるままに、東京学生柔道連 盟の役員に就任しました。 正力杯・嘉納杯と国際試合があると、試合後のヘァウエルパーテーにも参加しました。 当時中国語のわかる柔道マンはほとんどおりませんでしたので、中国チームのテーブル には日本人は誰も寄りつきませんでした。役員の末席を占める私にとっては、中国チー ムのテーブルはかっこうの居場所でした。私のつたない中国語でも喜んでもらえるので 、恥をしのんで国際交流に努めました。
ところがある日のパーテーで、いつものように中国チームのテーブルに行くと、私の 中国語が全く通じない日本人に良く似た東洋人が2人いました。英語もまったく通じな いのです。そのうち中国チームの通訳が、彼らがモンゴル人だと教えてくれました。 コーチのナサントグトフと65kgのバトトルガの二人でした。その後、少し遅れて英 語のわかる重量級のバトエルデン(ナーダム連続11回優勝の大横綱 現在国会議員 も、そのテーブルに来ました。日本と違いモンゴルでは柔道マンが女性によくもてるの で、一度モンゴルにいらっしゃいということになりました。彼らの人柄とモンゴルに興 味を持った私は、モンゴル語会話の練習を開始しました。通勤時間がモンゴル語会話の 練習時間となりました。その後何度か国際試合のパーテーで、ナサントグトフと顔を合 わせるたびに、いつモンゴルに来るのかと催促されました。 1993年の2月だったか、柔道仲間とオリンッピックで金メダルをとった古賀選手 や吉田選手の出身母体である講道学舎を見学にいきました。稽古の見学後、かねてから のモンゴルフアンである横地理事長と会食している時に、ドルジデレム モンゴル大使 が新任の挨拶におい出になりました。私と同行した3人はいずれも英語が堪能なので英 語で挨拶をしました。私はかねてから練習中のモンゴル語で思い切って挨拶をしました。 モンゴル語の挨拶をうけたドルジデレムモンゴル大使の驚きと喜びはひとしおだった。 独学でやってきた私のモンゴル語でも、モンゴルの人に通じるのかといささか自信をつ けました。横地理事長から依頼され、その時同行した日経連の矢野氏と共に、同学舎理 事に就任し、20年以上理事を勤めました。その間、金鷲旗大会をはじめ、中学高校の 柔道の試合を見に行き、各地の柔道仲間と旧交を温めました。
その1993年8月に九州の柔道仲間3人と、はじめてモンゴルを訪問しまた。終戦直後の日本の状態と同じようで、何もないが、モンゴルの人々の素朴で実直さにつられて、モン ゴル病にかかり、9回もモンゴルを訪問することになってしまいました。
モンゴル語会話集 [生きてるモンゴル語] も作りました。
社団法人 日本モンゴル協会の理事にも就任いたしました。
積水化学定年退職の年 1999年夏、日経蓮がウラバートルで行った経営セミナーの講 師も務めました。
モンゴルの商品を日本で売ることが、もっともモンゴルの為になると考え、ケイアイ テイ企画を積水化学定年と同時に設立いたしました。
お土産に配ったモンゴル岩塩が評判がよかったので、2001年にモンゴル秘境の甘い岩 塩として発売いたしました。当社が岩塩を発売してから何社かモンゴル岩塩を取り扱う 会社がありましたが、ほとんどが辞めてしまい当社が、モンゴル岩塩の創始社と自負し ております。
2004年両国国技館で、モンゴル岩塩を販売いたしました。
2010年には、江戸伝統のてづくり岩塩あめ(塩分3%)を発売いたしました。
2017年には、三温糖と塩分6%の炎熱職場 スポーツ用塩分栄養岩塩あめsを発売いたしております。
2005年ウランバートルの日本文化センターで行われたモンゴルの地方振興ための講演 会で、新しい事業の興し方 実践編の講演もいたしました。その時エルデネット社の水 の供給ライン改修の話をきいていたので、強化プラスチックパイプのPRに伺いました。
同社はモンゴル最大の会社で日本でいえば新日鉄と三菱重工を合わせたような会社です。 2007年にはパイプラインのポンプが古くなっていたので、日本荏原社のポンプを納入することが出来ました
2015年には、30年前の積水時代の部下のお世話で、地下熱利用の北海道開発局のプロ ジェクトの一員として、モンゴル農牧大学で講演もしてきました。9回目のモンゴル行きでした。

2019年6月23日 エルベグドルジ大統領から友好勲章をいただきました。当社がモンゴル岩塩を輸入し始めたら、数多くのライバル会社あらわれましたが、売り上げが上がらず採算が合わないとほとんどの会社がすぐに取り扱をやめてしまいました。。バッチジャルガル元大使が、日本に輸出して上手くいっているのは、大相撲の力士と岩塩だけだとおっしゃったことがございましたが、当社はモンゴル岩塩の創始社として岩塩あめを開発したり、営業コストを引き下げ、粘り強く営業をつずけておるので評価されたようです。さらに売上を増やして、モンゴルの為に貢献いたしたいと思います。

売上をあげるための情報 アイデアを頂けるとありがたいです。当社は競馬馬や牧場の牛に塩をたべさせることも検討してもらっております。平成29年9月

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メイル  kitmongol.outlook.jp

モンゴル秘境の甘い岩塩成分表

首都ウランバートルから西北1300km、ロシア国境の近くのダウスト(塩の意味)にこの岩塩鉱はあります。ウランバートルからはほとんど舗装されていない道路ですが、国境の付近は完ぺきに舗装された広い直線道路です。1989年ロシアからモンゴルが独立してから、ロシアによってこの道路は作られたそうです。

この岩塩鉱は1960年代にロシアによって発見され、岩塩が1680萬トン埋蔵されているといわれております。1mも掘るとすぐ岩塩鉱になります。ピンク グレー 白と色がありますが、泥のまざった塊もあります。粉砕すると乱反射で真っ白な粉末になりります。当社も発売当時は運転手が泥の混ざったものを運搬してくることもございましたが、18年もたちますと、泥の入っていない塊だけを持ってくるようになっています。ウラバートルで粉砕し、袋つめしております。

何度か成分分析をしておりますが、ほんの少しだけⅯgマグネシュウムをふくんでいることがございます。Ⅿgは溶解温度が650度と非常に低い金属です。したがってこの岩塩は溶岩流のような超高温でできた岩塩ではございません。

付近にダウス湖がございますが、湖塩ではございません。工場がある地域の湖
塩には、工場の廃棄物の墳煙が含まれることがありますが、この地域は工場が一切なく、モンゴル唯一の世界自然遺産に登録されているきれいな地域です。湖塩では大きな固まりはできません。

当社では白鳳が横綱になったとき、白星にちなんで160kgの真っ白な塊をさしあげてあります。横綱に確認したところ、自宅の床の間に飾ってあるそうです。モンゴルでは、岩塩はジャムツダウスと言われて、神聖なものと扱われ一般には、食用としてあつかわれず、医療用に使われております。風邪をひいた時のうがい、胃が弱った時にお茶に入れて飲んだり致します。スーテイツアイといってお茶やミルクに塩をいれるのは一般的です。大きな病院には、ジャムツダウス岩塩の粒の道がつくってあり、血圧をさげるために歩行させおり、そのデーターもいただいております。。日本で10分程岩塩のうえを歩いた後に、血圧を測ってみたところ、どういわけか血圧が上下とも10は下がっていました。

ちなみに初めて白鳳にあったのは、かれの父親ムンフバトに会いに行った時に、はじめて里帰り中の時で、68kgの青年でした。
父親ムンフバトは、モンゴル相撲の後輩の大横綱、バトエルデン バイムフのように大きくはなかったですが、モンゴル相撲で5連続優勝し、メキシコオリンピックレスリング銀メダルをとった技の大横綱でした。